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読んだ小説の感想を書いてみたり。

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『トマトの情熱』
企画の中でも気になるタイトルトップクラス。物語で出てくる問題は自分たちとは無関係とは言えないのが怖いところ。延々トマトが飛び交っているのに、きちんと話の筋が通っているのは見習いたい。「ヘタをめく~」のくだりはツボでした。 
 テーマへの考察:タイトルの通り情熱以外の何者でもありません。作中に出てくる作品の情熱、物を書くということに対する情熱、仲間を大切にする情熱。情熱がたくさん詰まった作品でした。

『21時のサウナルーム』
人生は一期一会の繰り返しを体現した作品。人生の13分間に意地と友情?と憎しみと色々なものが濃縮されていました。この作品だけで言えば自分に通ずる物をたくさん持っている人だと感じました。全編通じて読者に殴りかかる姿勢が見えるのがよいです。 
 テーマへの考察:文章を読んでいるだけで自分までサウナ独特の息苦しさや熱を感じます。でも、本当の熱は男同士の熱き戦いにあります。熱い中で男の熱い戦いと聞くだけで暑苦しいですね。

『体調管理って大事よね』
文字通りジェットコースターに乗っているようなスピード感がありました。コメディとしてはもちろん面白いのですが、マシンガントークぶりやあちこちに思考が飛ぶ文章は女子の思考そのままで、ある意味リアリティで良く出来ている作品。 
 テーマへの考察:Faverの熱。38度も出しているのにずいぶん元気だなと思ったのだけど、女子というのはそんな時でもめまぐるしく色々考えているのかもしれません。私は体調崩しても熱はほとんど上がらないので、高熱の時の状態ってよくわからなかったり。

『青い炎の色に』
希望を求めて旅をする人たちの話なのに、どこか終焉に向かっていくような印象を受ける不思議なお話。ラストの解凍シーンは厳かであり恐れをも感じます。実際に自分の目で見てみたい光景です。 
 テーマへの考察:発見した惑星が氷で覆われていたので、それを溶かすための熱。っていうとたいしたよに聞こえないのだけど、人類の希望の詰まった炎は激しく燃えているのにどこか静かで、「燃え燃え」な他の作品とは一線を画していました。

『水中花』
水中花を通じて祖母への複雑な思いが丁寧に描かれています。読めばテーマが熱なのは納得するのですが、表向き水中花や冷めた想いなど冷たいものを前面に押し出しているのも面白いです。水中花の制作過程も含めて全編リアルで丁寧です。
 テーマへの考察:トンボ玉を作るためのバーナーの熱がテーマの熱につながると思うのですが、祖母は水中花の様な冷たい人であったり、水中花を何としてでも作りたいという主人公の思いは元々は冷めた想いでもあったり、その対比が面白いです。

『アーミン・プレストン卿と暴走からくり執事』
ビクスビーさんの執事っぷりといい、ツッコミ所満載のキャラクター達といいツッコミ体質の私にはちょうどよいボケ具合です。過去の作品も読んだことない人は是非!暴走編からレッスン編へ戻るとそれはそれで面白いことになっています。
 テーマへの考察:暴走からくり執事を動かすための蒸気。熱よりも煤だらけになってしまったお屋敷や食事の方が印象に残るので、熱度は低いかもしれません。

『熱力学第一法則』
熱いドンパチシーンもすごいのだけど、余計な感情や描写を省いて描かれていることで、彼らのいる世界の殺伐感やスピード感が良く表現されています。そんな中であの終わり方にしたのがこれまた素晴らしい。つい余計なことって書きたくなりますからね。 #オンライン文化祭
 テーマへの考察:熱力学第一法則=エネルギー保存の法則。冒頭で触れられているとおり、彼らの駆け引きは常にこの法則に成り立っているということでしょう。これを念頭において読んでいると、どのシーンもこの法則が裏に潜んでいることに気づかされます。

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 吉田和代様主催オンライン文化祭2012~熱~に参加。
 ついったでの感想+テーマ考察っぽいものを書いたまとめ。
 うっかりPCデスクトップで1年も温めてしまったため、作者名はないわ読んだ順だわで色々適当。小説部門のみ。

『烈火剣 石摺り』
ネーミング、ラストのバトルシーン、いつものテーマと藤茶葉先生の基本がしっかり抑えられた作品でした。いつもに比べて博士…もとい藤茶葉先生の小説のテーマが前面に押し出されています。これくらいストレートでも良いと思います。
 テーマへの考察:テーマの「熱」という単語は熱を持つ石というところでのみ出てきます。もちろんこの熱い石は話のキーポイントとなるわけですが、テーマが「熱」なので、いつもより熱い想いがたぎって「生きる」というテーマが前面に押し出されたのかもしれません。作品で一番熱かったのは藤茶葉先生だったということでしょう。

『パイロキネシス・クライシス』
前半断片的にシーンが出てくるかと思いきや、それがラストには綺麗に纏まっているのが素晴らしい。最後は「うまいことはめおったな」という気持ちになります。作品のみならず主人公の能力の使い道について考えるだけでも楽しめます。
 テーマへの考察:熱に関する能力とテーマがわかりやすい形で消化されています。最後の方で出てくる熱に関する能力が秀逸。さらに、ラストで出てくる「熱」はちくしょうめ、と思いました。お似合いですよ。

『サムライ熱』
冒頭のちょんまげの文字が出たあたりから物語に引き込まれました。前半ニヤニヤ、後半ハラハラソワソワできる作品でした。断然誠二郎さん派です。佐久間なんて認めーん! 二人の性格の対比も見所の一つ。ちなみに下着はかぶっていたと思うに一票です。前半は誠二郎さんが素敵すぎてルンルンしてしまいました。行動の一つ一つが愛おしい。キャラクターがきちんと書き分けられており誠二郎と佐久間(さん)の対比が見所の一つです。
 テーマへの考察:feverの熱がモチーフでした。熱という単語よりもタイトルの「サムライ熱」によって物語が転がっていくという使い方でした。アイテムとしてテーマが消化された作品でした。

『温度屋の美鳥さん』
オムニバス好きなんです。カホちゃんの元ご主人への裏切り具合がよかったです。昔好きだった児童書につながるものがあって懐かしかったのと同時に他の人々を主人公にした話も面白そうとか妄想が膨らむ世界観でした。全体のほんわかした雰囲気に癒やされます。
 テーマへの考察:心が熱すぎるか、心を熱くしてあげるかというところで熱という単語がでてきたくらいで、人の温かさや温泉やふわりとした村の人々にはどちらかというと「温」という言葉の方が適しているように感じました。

『顕斎 ― utusiiwai ―』
100枚というページ数に捕らわれずにとにかく読み始めてしまえば良いと思います。きな臭い事件と登場人物達が物語に一気に引き込んでくれます。一番の魅力はラストの余韻かと。とにもかくにもオカルトミステリーは嬉しい。
 テーマへの考察:この作品も熱が能力?事件のモチーフとして使われています。延々と熱(火災とか焼けるとか)の事件について追っているので読んでいる方が炎にやられて熱くなってしまいそうです。

『積善の家に余慶あり』
青春のようにキラキラしすぎず、かといってドロドロしすぎず真っ正面から青臭いものと向き合っている作品。文也君が素直でかわいい。よく読むと単なるハッピーエンドとは違って二面性があるように思います。
テーマへの考察:作品そのものには熱っぽさは感じられないのですが、昨年の作品といい何かを乗り越える作品を書くという作者の熱い想いが伝わってきました。それと熱という意味でにフィーバーしているのは親たちですね。

『埋み火によせて』
前半の謎をばらまき、じらすにじらす構成があることで後半が生きています。「私」の生き方考え方は私にはやっぱり理解出来ないのだけれど、それは短い物語の中で「私」という人物が描ききれている証拠です。
 テーマへの考察:「私」のノートの部分で熱い想い(一部カロリー的な熱)という意味での熱がたくさん出てきます。テーマに引っ張られて熱という単語が散見しすぎている印象を受けました。それがなくてもあの文章であれば「私」の熱い想いは伝わってきたのではないでしょうか。

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 知り合いの博士こと茶林小一氏が童話を書いたらしいので読みました。
 「やまあり」

 平原に立つ?二つの山に集まる旅人達の話。
 結論から言ってしまえば博士を知っている人が読んだ方がより面白い。
 表と裏の意味で楽しめるという意味で。
 
 表の普通の童話として。
 二つの山を巡って人間の本質が語られていて、何も知らない人が読んでも十分楽しめます。他者から見ればどうでもいいことで争い合う人間。はじめのたびびとの埋葬のくだりは悲しくてやるせない出来事であり、妙に納得出来ることでした。はじめのたびびとのためにと言いながら、彼の願いは誰にも伝わっていないというのがなんとも。
 最終話の内容は博士がさんざんテーマにしている部分に通じているので、ニヤリとできました。

 裏の童話???として。
 もうこれは、乳星人である博士を知っている人ならば第一話のタイトルを見て同じ事を考えたでしょう。
 これは隠喩ではないかと。
 おふざけがいつ来るかと読んでいるとそんなことはなくてあれ?と思うのですけれど、よく読んでみると乳に対する主張はいつもと変わらなくて「大きい方がいい」って書いてありますよね?これ。
 特に一話目の「われわれのてで、おおきくすればいいのだ」から「おおむね、よろしいとおもう」の下りは完全に趣味の話をしていますね。本当に大胸好きですね。

 ひらがなばかりの物語でカタカナが出てくるのに違和感があるのと、もっと言ってしまえば全てひらがなにする必要があったのかというのはあると思います。童話だからひらがなと見えなくもなく。漢字を入れても童話として成り立つと思いました。

 博士の表と裏が共存している話はあれど、どっちかに偏っていることが多いのでバランスよいのは珍しいと思います。博士の本質が詰まりに詰まっているので、そういう視点で読むと非常に面白いと思います。

 ついでに朗読版が限定公開されていたので聞いてみました。
 これはこれで面白かったです。私は夜のNHKラジオのテンションが好きだったりするので、淡々と語られる物語は楽しめました。
 そして、ラジオドラマはともすると話においていかれることがありますが、難しい表現はないので耳に優しいお話でした。
 私が関東人なのをいいことに言わせてもらえば発音揺れがたくさんありましたので、精進していただければと思います(じゃあ、私が美しい発音をしているかと言われればそうでもないのですけれど)。

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 選評つける時は印をつける評価基準を明記した方がいいんじゃないかという話です。

 今回の心臓は正選王が接戦で×1個の差でした。
 ○や△の1個の差は惜しいの一言ですむのですが、×1個ってものすごく重いのではないでしょうか。

 なぜならば私は気に入った作品に×をつける事が多いからです。
 ともすると○よりも×の方が個人的に評価が高いこともあります。
 他の方の選評を読んでいても○と△は「良いと感じた作品」「○に届かないが良いと思うもの」とわかりやすい一方×の評価基準が個々で違って曖昧です。私タイプの人もいれば、残念だと思う作品に×をつける人もいます。
 気に入っているのに×をつけて正選王逃したら申し訳ない事極まりないです。何らかの理由で○ではなく×なので×は○になり得ないのは重々承知です。それならば×の意図を作者様にも理解してもらう必要があると感じた次第です。
 もう一つの理由としては自分の中でも毎回評価基準が変わっているからです。
 今回がいい例です。<鈴をつける1>にどうしても◎を贈呈したかった私は、本来であれば○候補となり得た<鈴をつける3>に×をつけました(これで<鈴をつける3>が私の×で正選王逃していたら自分が戦犯になっていたかも、ぞぞぞ、というのがこの記事のきっかけ)。

 
 自分の基本のスタンスはタイトルと中身が合っていて(作品からタイトルへ帰結できる)好みな作品に○、好みだけれどタイトルと内容がミスマッチだと思うものに×をつけています。潔い方が好きなので参加当初から△はつけていません。

 今までの選評にも印をつけた理由は記載するようにしていましたが、もう少し明確に書いていくことを心がけようと思います。
 ついでに言えばタイトルの解釈も書いた方が選評としてはわかりやすいですね。


 潔いのが好きと言いながら、評価項目に△がないと一番困るのって△をよくもらう(通称△キラー)自分なんですけどね。

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500文字の心臓~第112回タイトル競作『鈴をつける』に参戦。

 総じて好きなタイプの作品が多くて楽しかったです。<鈴をつける1>があまりにクリーンヒット過ぎて印をつけるという点では他のがかすんでしまったのが正直な感想。作品の掲載順番って大事です。

◎<鈴をつける1>
>涼風がすがすがしい、早朝。
 心臓にもこういう作品がもっと増えればいいと思います。
 文字数に物足りなさもなければ蛇足気味でもなくて超短編特有の余韻は少ないけれど、逆にぴったりでまとめるって難しいのではないでしょうか。
 初読で◎つけたいと思いました。
 蓋を開けてみたら初参加の方だったようです。どうりで1行目の感想が出てくるわけですね。作風が偏りがちになるからこそこういう新鮮な作品は嬉しいです。本当にこういう作品増えればいいと思う。

×<鈴をつける3>
>鈴の子が迷い込んで来た。
 鈴の子との交流が和みますね。ストーリーとしては非常に好み。
 詰め込みすぎた感があって、「私」の感情が少々浮いているような印象を受けました。ストーリーの流れ的には「私」がそのように思うのは理解出来るのですが、読者が無理矢理そちらへ誘導されているといいいますか。特に最後の一文。
 何か印を贈呈せずにはいられないけど、◎使っちゃったので逆選を。

<鈴をつける4>
>「きゃっ!? 何やってんのよ、冷たいじゃない!」
 こういう作品は一つは出てくると思っていました。
 最初の数行で十字路の出会い的な作品に期待したのですけれどねえ。国立機関の人間にしてはちょっとしょぼいですね。

<鈴をつける6>
>交差点での信号待ち。
 前半と後半が分離していて、本題がすり替わってしまったような。
 ダンゴムシのくだりは不要と感じました。後半のあほくさい所は好きですが(とかかくと私が変態に思われるじゃないですか)。
 逆選王。こういう作品が王様になるのが心臓の一つの醍醐味です。

<鈴をつける7>
>菜の花が、果てまで
 惜しくも正選王を逃した作品。
 詩的で自分が最も書けないタイプの作品。文章の書き方と作品の雰囲気が独特の世界観を生み出しています。こちらも黙って耳を澄ましてしまいそうな。儚い作品だけに鈴をつけるというタイトルが浮いてしまっているような。

<鈴をつける11>
>この世界には飼い猫と野良猫しか存在しない。
 ↑このモチーフは好きだけれど、こう、もう少しなんとか一ひねりじゃないんだけど何かもう一つ欲しかったです。最後の一文は蛇足のような。
 他の方の選評読んで考えたこと。蛇足と言った最後の一文なければないで作者が飼い主についてわかっているかどうかという余計な疑問が生まれてしまうのでやっぱり必要なのかもしれません。でもね、なんかいらないんですよね。同じく選評の中で何か言いたいことがあるのはわかるという記載があって、それも何となく同意できるんだけど、世の中の作品てそんなので溢れているし、本当に言いたいことは相手に伝わらないと意味がない論者の私としてはそこは評価できないと思いました。
 ミネギシズムによりほんの一瞬だけ逆選王として君臨した作品。議論を醸し出せるという点で逆選向きの作品であったのは確か。

<鈴をつける19>
>かつり、かつり、かつかつ、かつり
 文面だけだとしゃれこうべが「私」に無理矢理連れて行かれたようにも取れました。そしたら私の自己満足だけの話だな、と。しゃれこうべが上機嫌で私が一言でも「一緒に来るかい?」と声を掛けていたのならば、楽しいお話で印候補に挙がったのではないでしょうか。

<鈴をつける21>
>「鈴は可愛い生き物がつけるものと
 正選王。
 またしても正選王スルー。文章は美しいです。自然の厳しさをうたいつつ、ちろちろと軽やかな鈴の音を対照的に出しているのも上手いなあ。
 でもね。海の中に潜って泳いだら鈴は鳴らないのでは?
 ペンギンの泳ぐ速度を考慮すると多少足が左右に動いたところで鈴は鳴らないと思うのです。自然の厳しさ云々で現実味を出すのならば後半も現実を追求して欲しかったなあ、というか置いてけぼりを食らった気分になりました。逆に自然が厳しいというのは鈴の音と対照させたかっただけにも思えたりして。前半ももっとファンタジー色強いのならば海が鈴の音で満たされるって素敵だし、表現は本当に素晴らしいのですけれど。
 どなたかのペンギンの存在そのものが奇跡だから鈴はいらないというのが一番しっくりきました。

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