読んだ小説の感想を書いてみたり。
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総じて好きなタイプの作品が多くて楽しかったです。<鈴をつける1>があまりにクリーンヒット過ぎて印をつけるという点では他のがかすんでしまったのが正直な感想。作品の掲載順番って大事です。
◎<鈴をつける1>
>涼風がすがすがしい、早朝。
心臓にもこういう作品がもっと増えればいいと思います。
文字数に物足りなさもなければ蛇足気味でもなくて超短編特有の余韻は少ないけれど、逆にぴったりでまとめるって難しいのではないでしょうか。
初読で◎つけたいと思いました。
蓋を開けてみたら初参加の方だったようです。どうりで1行目の感想が出てくるわけですね。作風が偏りがちになるからこそこういう新鮮な作品は嬉しいです。本当にこういう作品増えればいいと思う。
×<鈴をつける3>
>鈴の子が迷い込んで来た。
鈴の子との交流が和みますね。ストーリーとしては非常に好み。
詰め込みすぎた感があって、「私」の感情が少々浮いているような印象を受けました。ストーリーの流れ的には「私」がそのように思うのは理解出来るのですが、読者が無理矢理そちらへ誘導されているといいいますか。特に最後の一文。
何か印を贈呈せずにはいられないけど、◎使っちゃったので逆選を。
<鈴をつける4>
>「きゃっ!? 何やってんのよ、冷たいじゃない!」
こういう作品は一つは出てくると思っていました。
最初の数行で十字路の出会い的な作品に期待したのですけれどねえ。国立機関の人間にしてはちょっとしょぼいですね。
<鈴をつける6>
>交差点での信号待ち。
前半と後半が分離していて、本題がすり替わってしまったような。
ダンゴムシのくだりは不要と感じました。後半のあほくさい所は好きですが(とかかくと私が変態に思われるじゃないですか)。
逆選王。こういう作品が王様になるのが心臓の一つの醍醐味です。
<鈴をつける7>
>菜の花が、果てまで
惜しくも正選王を逃した作品。
詩的で自分が最も書けないタイプの作品。文章の書き方と作品の雰囲気が独特の世界観を生み出しています。こちらも黙って耳を澄ましてしまいそうな。儚い作品だけに鈴をつけるというタイトルが浮いてしまっているような。
<鈴をつける11>
>この世界には飼い猫と野良猫しか存在しない。
↑このモチーフは好きだけれど、こう、もう少しなんとか一ひねりじゃないんだけど何かもう一つ欲しかったです。最後の一文は蛇足のような。
他の方の選評読んで考えたこと。蛇足と言った最後の一文なければないで作者が飼い主についてわかっているかどうかという余計な疑問が生まれてしまうのでやっぱり必要なのかもしれません。でもね、なんかいらないんですよね。同じく選評の中で何か言いたいことがあるのはわかるという記載があって、それも何となく同意できるんだけど、世の中の作品てそんなので溢れているし、本当に言いたいことは相手に伝わらないと意味がない論者の私としてはそこは評価できないと思いました。
ミネギシズムによりほんの一瞬だけ逆選王として君臨した作品。議論を醸し出せるという点で逆選向きの作品であったのは確か。
<鈴をつける19>
>かつり、かつり、かつかつ、かつり
文面だけだとしゃれこうべが「私」に無理矢理連れて行かれたようにも取れました。そしたら私の自己満足だけの話だな、と。しゃれこうべが上機嫌で私が一言でも「一緒に来るかい?」と声を掛けていたのならば、楽しいお話で印候補に挙がったのではないでしょうか。
<鈴をつける21>
>「鈴は可愛い生き物がつけるものと
正選王。
またしても正選王スルー。文章は美しいです。自然の厳しさをうたいつつ、ちろちろと軽やかな鈴の音を対照的に出しているのも上手いなあ。
でもね。海の中に潜って泳いだら鈴は鳴らないのでは?
ペンギンの泳ぐ速度を考慮すると多少足が左右に動いたところで鈴は鳴らないと思うのです。自然の厳しさ云々で現実味を出すのならば後半も現実を追求して欲しかったなあ、というか置いてけぼりを食らった気分になりました。逆に自然が厳しいというのは鈴の音と対照させたかっただけにも思えたりして。前半ももっとファンタジー色強いのならば海が鈴の音で満たされるって素敵だし、表現は本当に素晴らしいのですけれど。
どなたかのペンギンの存在そのものが奇跡だから鈴はいらないというのが一番しっくりきました。